本記事は、miLabにおける英文記事(Materials Informatics in Polymer Science: Challenges and Our solutions)の日本語翻訳版です。
はじめに
ポリマーは、日常のプラスチック包装から最先端技術に至るまで、幅広い応用を持つ材料科学において重要かつ数多くの革新をもたらしてきた素材のカテゴリです。しかし、モノマー構造の多様性、複雑な高分子鎖の配置、多岐にわたる合成プロセスの影響により、この分野は大きな課題に直面しています。その結果、ポリマー研究では非効率的な試行錯誤に依存するケースが多く、イノベーションが鈍化している側面もあります。
近年の機械学習(ML)技術の急速な進展は、これらの課題に対する有望な解決策を提供しています。ポリマーインフォマティクスは、データセット、特徴量エンジニアリング、MLモデルを含む新しい研究分野ですが、まだ発展途上にあります。それでも、高次元データ内の複雑な関係を明らかにするMLの能力は、新しいポリマー材料の発見を劇的に加速させる可能性を秘めています。
MLを効果的に活用するには、ポリマー研究者がこのツールを研究に統合する方法を学ぶ必要があります。これにより以下が可能となります。
- ポリマー科学の理解を深める
- ポリマーの物性を予測する
- 新しいポリマーの設計を迅速化する
- ポリマーの特性評価を加速する
ポリマーインフォマティクスが成熟するにつれ、材料発見におけるより効率的で革新的なアプローチが可能になり、ポリマー科学に革命をもたらすと期待されています。
1. ポリマー科学の理解を深める
分子動力学(MD)シミュレーションや密度汎関数理論(DFT)計算は、ポリマー科学における実験現象の解明を助ける重要な洞察を提供します。特にスーパーコンピュータの計算能力が向上したことで、全原子MDシミュレーションはポリマーの複雑な物理現象を分析する強力なツールとなっています。しかし、ポリマーシステムの複雑さは計算手法にとって大きな課題です。典型的なポリマーシステムを全原子でモデル化する場合、数十億個の原子を扱い、数十億ステップのシミュレーションが必要となります。この計算規模は、現在利用可能な最先端のスーパーコンピュータでも実行が難しく、これらの技術の限界を浮き彫りにしています。
課題
実際のプラスチック製品は「純粋なポリマー」ではなく、通常、化学的な添加剤を含んでいます。MDやDFTシミュレーションは純粋なポリマーシステムの研究では有望性を示していますが、複雑なプラスチック製品への適用は限定的です。例えば、ポリマーブレンドや溶媒との相互作用などの特定の現象の研究には価値がありますが、プラスチック添加剤を扱うシミュレーション手法の開発は極めて限られています。これにより、商業的なプラスチック材料の全体的な挙動を理解する上で大きな課題が残されています。
ソリューション
MI-6では、ポリマー添加剤の相互作用や高分子鎖の挙動を研究するため、MDやDFTを応用した複数の計算手法を活用しています。主な利用方法は以下の通りです。
- 3次元データ解析
3次元モデリングによる特徴計算
コポリマーの相図予測
3D化学記述子としての活用 - カスタマイズされたMDシミュレーション
混合系に特化したシミュレーションの応用
2. ポリマーの物性を予測する
ポリマー材料の構造情報に基づいて、その主要な物理的・機械的特性を予測・設計することは、ポリマー科学における大きな関心事となっています。この分野で主要なアプローチの1つは、ポリマーに対する定量構造-物性関係(Quantitative Structure-Property Relationship, QSPR)手法の適用です。QSPRモデルは迅速な予測を可能にするため、研究者が未知のポリマーシステムをより効率的に探索できるようになります。これにより、目的の特性を持つ新しいポリマーの発見につながる可能性があります。
課題
ポリマー科学における機械学習(ML)の可能性は大きいものの、いくつかの課題が依然として存在します。特に、ポリマー材料に関するQSPR研究における主な困難は、化学構造の符号化にあります。ポリマーは通常、長い鎖長を持ち、さらにポリ分散性(分子量分布)を示すため、その構造を完全に特定することが困難です。この複雑さは、ポリマー構造を正確な分子グラフに変換する際に障害となります。この分子グラフは、MLモデルでこれらの材料を記述するために用いられる特徴量を計算する上で不可欠な要素です。
ソリューション
これらの課題に対処するため、ポリマーの構造的複雑性をより適切に捉える新しい分子記述子の開発が、現在活発に研究されています。私たちは、ポリマー物理学や化学の領域知識をMLモデルに統合することに重点を置き、モデルの精度と解釈性の向上を目指しています。
3. 新規ポリマーを迅速に設計する
新しいポリマーの設計を迅速化するために、先進的な生成モデルを用いて新規モノマー構造を作成する技術が大きく進展しています。多くの分子生成モデルは文字列ベースで設計されており、SMILES(Simplified Molecular Input Line Entry System)表記法を活用しています。これらのモデルには、Recurrent Neural Networks(RNN)、BERT(Bidirectional Encoder Representations from Transformers)、変分オートエンコーダー(VAE)などが含まれます。しかし、ポリマーのような高分子は、複雑な化学構造を持つため、従来のモデルでは独自の課題が生じます。この課題を解決するために、グラフベースのデコーダーが開発されました。この分野の最近の進展として、従来の方法が抱えていた複雑な高分子構造の表現における制約を克服することを目指したグラフベースモデルが挙げられます。
課題
有望な化合物を含む十分に広範な候補分子のプールを生成することは、目的の特性を持つ化合物を含めるために不可欠です。しかし、候補空間があまりにも広大になると、その探索に膨大な時間がかかり、非効率的になる可能性があります。この課題を解決するためには、最適化技術が重要な役割を果たします。最適化技術を活用することで、目的の特性を持つ高スコアの候補分子を効率的に特定することが可能となります。
ソリューション
私たちは、生成モデルの統合を可能にするCuriosity-driven Learning手法を採用しています。この方法により、既存のデータセットで過小評価されている新規モノマー候補を発見することができます。このアプローチは、高い分解性と強い機械的特性を同時に備えた新しいモノマーの特定において有用であることが実証されています。
4. ポリマー特性評価とデータ解析の高度化
ポリマー構造はその複雑性から、組成や構造を特定するために質量分析(MS)、核磁気共鳴(NMR)、赤外分光法(IR)などの高度な特性評価手法を必要とします。これらの手法によって得られる洞察は、研究開発プロセスを大幅に加速させるだけでなく、ポリマー生産の理解と最適化を促進します。たとえば、溶融粘度の正確な予測は、押出成形プロセスの制御を改善し、一貫性のある高品質なポリマーの生産を可能にします。
近年、機械学習(ML)手法は、これらの複雑な特性評価データの解析を迅速化する強力なツールとして登場しており、ポリマー科学の進展に新たな可能性をもたらしています。
課題
複雑なスペクトルの解釈には高度な専門知識が必要であり、特に赤外分光法(IR分光法)のような手法では、識別可能な信号を生成する官能基に限定されることが多いのが現状です。従来、研究者は手動によるピーク検出プロセスに依存してきましたが、この方法は非常に時間がかかるうえ、専門的な知識を要します。このような制約から、スペクトル解析の効率を向上させるための自動ピーク検出ツールの必要性が高まっています。
しかし、ピーク検出技術が向上した一方で、新たな課題として、複数のスペクトルから生成される膨大なピークデータを効率的かつ正確に解析・解釈する必要性が浮上しています。
ソリューション
このスペクトルデータ解析における重要なニーズに応えるため、ピーク検出、ピークのグループ化、そしてIRスペクトルから構造を予測する高度な自動化システムを開発しています。これらのシステムは、最先端の機械学習(ML)技術を活用し、多様なデータセットにおけるスペクトルピークの解析において、これまでにない精度と効率性を実現することを目指しています。
参考文献
(1) Everaers, R.; Karimi-Varzaneh, H. A.; Fleck, F.; Hojdis, N.; Svaneborg, C. Kremer–Grest Models for Commodity Polymer Melts: Linking Theory, Experiment, and Simulation at the Kuhn Scale. Macromolecules 2020, 53 (6), 1901–1916. https://doi.org/10.1021/acs.macromol.9b02428.
(2) Li, B.; Wang, Z.-W.; Lin, Q.-B.; Hu, C.-Y. Molecular Dynamics Simulation of Three Plastic Additives’ Diffusion in Polyethylene Terephthalate. Food Additives & Contaminants Part A 2017, 34 (6), 1086–1099. https://doi.org/10.1080/19440049.2017.1310398.
(3) Hayashi, Y.; Shiomi, J.; Morikawa, J.; Yoshida, R. RadonPy: Automated Physical Property Calculation Using All-Atom Classical Molecular Dynamics Simulations for Polymer Informatics. npj Computational Materials 2022, 8 (1). https://doi.org/10.1038/s41524-022-00906-4.
(4) Rasulev, B.; Casanola-Martin, G. QSAR/QSPR in Polymers. International Journal of Quantitative Structure-Property Relationships 2020, 5 (1), 80–88. https://doi.org/10.4018/ijqspr.2020010105.
(5) Jin, W.; Barzilay, R.; Jaakkola, T. Junction Tree Variational Autoencoder for Molecular Graph Generation. arXiv.org. https://doi.org/10.48550/arXiv.1802.04364.
(6) Yang, X.; Zhang, J.; Yoshizoe, K.; Terayama, K.; Tsuda, K. ChemTS: An Efficient Python Library for de Novo Molecular Generation. Science and Technology of Advanced Materials 2017, 18 (1), 972–976. https://doi.org/10.1080/14686996.2017.1401424.
(7) Jin, W.; Barzilay, R.; Jaakkola, T. Hierarchical Generation of Molecular Graphs using Structural Motifs. arXiv.org. https://doi.org/10.48550/arXiv.2002.03230.
(8) Sha, W.; Li, Y.; Tang, S.; Tian, J.; Zhao, Y.; Guo, Y.; Zhang, W.; Zhang, X.; Lu, S.; Cao, Y.; Cheng, S. Machine Learning in Polymer Informatics. InfoMat 2021, 3 (4), 353–361. https://doi.org/10.1002/inf2.12167.
(9) Cuthbertson, A. A.; Lincoln, C.; Miscall, J.; Stanley, L. M.; Maurya, A. K.; Asundi, A. S.; Tassone, C. J.; Rorrer, N. A.; Beckham, G. T. Characterization of Polymer Properties and Identification of Additives in Commercially Available Research Plastics. Green Chemistry 2024. https://doi.org/10.1039/D4GC00659C.