課題:分子設計における網羅的探索の限界

近年、有機エレクトロニクス材料は、その軽量性、薄型性、柔軟性といった利点から注目を集めており、世界中で活発に研究開発が進められている。有機エレクトロニクス材料を活用した代表的なデバイスには、有機発光ダイオード(OLED)やペロブスカイト太陽電池(PSC)が挙げられる。これらのデバイスでは、電荷キャリア密度の増大や発光色の調整を実現する上で、ドーパントが極めて重要な役割を果たす。

従来のドーパント分子開発では、研究者が経験や知見に基づき、分子の設計を行うことが一般的であり、この際、作りやすさや特性を考慮する一方で、類似分子の検討に偏る傾向があったため、大きなブレイクスルーを生むことが難しい状況にあった。さらに、1つの分子を作成するのに多くの時間を要するため、「実験→考察→設計」という試行錯誤を十分に行うことが難しく、競争の激しいこの分野において従来のアプローチには限界があった。

本ケースでは、マテリアルズ・インフォマティクス(MI)技術を活用し、膨大な分子空間から効率的に多様な分子を探索した。このアプローチにより、バイアスのない選択肢を提供し、特定の物理・化学特性を持つドーパント分子を特定することを目指した。

解決策:研究者の知見を活かしながらコンピュータ上で分子を自動生成・評価

データ不足の中で、幅広い化合物を検討し有望な化合物を選択するために、3つのステップで解析を実施した。

Step1. 構造ー特性予測モデルの作成

分子を高速に評価するためには、分子構造を入力すると直ちに特性を推論できる仕組みを用意する必要がある。しかし、本ケースでは実験データが不足していたため、信頼性の高い予測モデルを構築するには限界があった。そこで、有機分子の構造と計算による物性値が収録されている大規模な公開データベースを活用し、構造から特性を予測するモデルを作成した。

Step2. 研究者の知見を反映させた分子群の作成

次に新たな分子をコンピューター上で自動生成する手法を開発し、それを用いて大規模な分子生成を実施した。分子生成の手法としては、ドーパント分子に精通した合成化学者の知見に基づいて生成方法を定義する、ルールベースのアプローチを採用した。ルール策定にあたっては、まずデータベースから分子形成の基本的な規則性を抽出した。次に、研究者の豊富な経験や専門的な知見を反映させるため、ルールの生成と研究者のフィードバックによる修正を繰り返した。すなわち、仮定したルールを用いて生成した分子を研究者が確認し「このような構造は望ましくない」といった具体的なフィードバックをもとにルールを追加・修正する反復的なプロセスを通じて、妥当な分子を生成する確率を高めた分子生成手法を実現した。

Step3. 所望の特性を持つ可能性がある分子の選択

Step2で作成した分子群に対して、Step1で作成した予測モデルを適応し、所望の特性を満たす可能性がある分子があるかをコンピュター上で仮想的に評価した。高評価な候補分子群に対して合成可能性スコアを付与することで、候補分子をさらに絞り込んだ。

結果:十数万件以上の新規化合物から目標を達成する化合物の発見と新たな知見の獲得

Step1では、外部データベースを活用し、多数の化合物の特性を高精度に予測できるモデルを構築した。続くStep2では、研究者との対話を通じて複雑な制約条件を組み込んだ分子生成ルールを確立し、それに基づいて十数万件以上の新規化合物をコンピュータ上で創出した。Step3では、これら十数万件を超える候補化合物に対して物性予測と合成可能性を評価し、その結果、合成しやすく所望の特性を有する可能性が高い化合物を絞ることができた。

このプロジェクトで得られた多数の候補化合物の中から選ばれた一部の分子は、実際の実験による評価において目標とする物性値を達成し研究者の知見を活かしながらコンピュータ上で分子を自動生成・評価する本アプローチが有効であることを示した。また、これまで考慮されていなかった構造を探索することで、新たな問題特性が浮き彫りになったり、想定していなかった予想外に有望な構造が発見できたといった知見が得られた。

今後はこうした知見をさらに取り込み、MIによる分子生成プロセスを高度化させていくことで、 これまで到達し得なかった特性を持つ化合物群への道が開かれ、さらなる発見や価値の創出につながると期待される。