材料開発の現場で、マテリアルズ・インフォマティクス(以下 MI)という言葉を耳にする機会が年々増えています。「MIはデータサイエンティストのような一部の専門家が行うもの」「実際に現場で行われている研究開発とは関係ない」という声も聞かれますが、実はそうではありません。

本記事では、なぜ今、実験研究者がMIを理解し活用する必要があるのか、また、どのようにすれば実験研究者の専門性を活かしながらMIを活用できるのかについて解説します。

なぜ今、実験研究者がMIを理解する必要があるのか

材料開発を取り巻く環境は、大きく変化しています。多岐にわたる業界の製品や材料開発においても開発期間の短縮要求は年々厳しさを増し、従来3~5年かかっていた開発サイクルが1~2年への短縮を求められるケースも非常に増えています。また、サステナビリティへの配慮や、原材料コストの上昇による開発予算の制約など、研究者が考慮すべき要素は複雑化の一途を辿っています。

材料・素材の研究開発を取り巻く状況変化

このような状況下で、MIは単なる一時的な流行の手法やアプローチではなく、実験研究者にとっても、むしろ実験研究者だからこそ、強力な開発手法の一つとなりえるとMI-6は考えています。

MI-6の支援先のひとつである住友ベークライト株式会社では、ある開発テーマにおいて、実験候補を96水準から26水準に絞り込み、実験現場での開発工数を半分に削減 (≒420時間の工数削減)することに成功しました。

この成功の背景には、以下のような取り組みがありました。※事例記事の内容を要約して抜粋

1つ目は組織体制の整備です。経営層が短期的な投資対効果にこだわらず、中長期的な視点で支援する体制を構築しました。具体的には、小規模なワーキンググループから段階的にMI専門部署へと発展させ、さらに全社横断的なアプローチを採用することで、早期から複数の研究所を巻き込んだ体制を実現しました。また、定期的な講演会や教育活動を通じて、組織全体での理解促進を図りました。

2つ目は技術導入プロセスの確立です。まず研究開発データ基盤の整備から着手し、各研究所との丁寧な合意形成を進めました。その上で、研究者が高度な統計学やプログラミングの知識がなくても直接解析できるツールを選定し、データに基づく判断を促進しました。さらに、初期スクリーニングからトレードオフ特性の最適化、試作検討まで、各開発ステップで実践的な活用を進めました。

3つ目は組織のマインドセット改革です。「やらない理由」を探すのではなく「やる理由」を見出すことに注力し、データに基づく説明で研究者の理解を得ることを重視しました。具体的な成功事例を示すことでMI活用の有効性を実証し、従来の経験や知見とデータ分析を組み合わせる柔軟な思考を育てました。最終的には、MI技術を「当たり前に使う技術」として位置づける意識改革に成功しました。

実際の開発テーマで成果を求めるにあたって、実験現場の知見は、MIの成否を分ける重要な要素です。データサイエンティストは統計やプログラミングには長けていますが、材料特性や実験条件の設定には専門的な知見を持ち合わせていません。実験研究者のドメイン知識は、適切なデータ収集と分析の方向性を決める上で不可欠であり、ドメイン知識 vs データサイエンスや統計解析といった対立構造は適切ではありません。

そもそもいずれも研究開発のフェーズや状況に合わせて、適材適所で柔軟に取り入れて成果を求めていく性質のものだからです。

誤解だらけのMI ~実験がなくなるわけではありません~

ここからは、MIについて、よく聞かれる誤解を解消していきましょう。

最も多い誤解は「MIを導入すると実験が不要になる」というものです。しかし、これは多くの場合、間違いです。

1. 誤解が生まれる理由

  • 「AI(人工知能)が全て自動でやってくれる」という期待
  • 「データさえあれば実験しなくても新材料が開発できる」という誤った認識
  • 成功事例の表面的な理解(「実験回数が減った」という部分だけを切り取った理解)

2. 実際のMIの使い方

  • 次に行うべき実験の提案をする(実験計画の効率化)
  • 失敗しそうな実験を事前に予測する(成功率の向上)
  • 実験データから新しい気づきを得る(データの有効活用)
  • 過去の実験の知見を活用する(経験の共有)

3. 実験が必要な理由

  • 予測結果が正しいかどうかの確認が必要
  • 実際の材料の性能は実験でしか確認できない
  • 予想外の発見は実験からしか生まれない
  • 製造時の問題は実験でしか見つからない

MIは、実験をなくすためのものではなく、従来よりもより「効果的に」実験するための手法だと考えましょう。

2つ目によく聞かれる誤解は「AIが全て解決してくれる」というものです。

AIに対する誤解のうち、特に「AIが全て解決してくれる」という認識は、いくつかの要因から生まれています。まず、最近のAIの急速な発展により、多くの人々がAIの能力を過大評価する傾向があります。「最近のAIは何でもできる」という思い込みが広まっており、メディアでの過剰な期待報道もこの認識を助長しています。特にChatGPTのような一般向けAIツールの印象が強く、AIの万能性を誤って理解させる要因となっています。
しかし、実際にはAIは強力な手法であるものの、あくまでも研究者の判断や意思決定を支援するツールに過ぎません。実験条件の設定や、得られた結果の妥当性の判断には、研究者の専門的知見が不可欠です。最終的な判断材料を踏まえて決定を下すのは、常に研究者自身なのです。

「自動化」という言葉の誤った理解も、このAIに対する過剰な期待を生み出す一因となっています。AIは確かに多くのプロセスを効率化できますが、それは人間の判断や洞察を完全に代替するものではありません。

AIにできること

AIにできないこと

▶研究者が必要な理由

  • 大量のデータから傾向を見出す
  • 似たような実験結果をまとめる
  • 次に試すべき実験条件を提案する
  • 異常値や珍しいデータを見つける
  • 実験の安全性を完全に判断する
  • コストと性能のバランスを総合的に判断する
  • 市場ニーズに合っているかを判断する
  • 予測結果が正しいかどうかを判断する
  • 材料の専門知識に基づく判断が不可欠
  • 言語化しにくい要素も含めて、現場の複雑な制約条件を理解している
  • 予測結果の妥当性を評価できる
  • 安全性や品質基準を理解している

AIは「研究者の判断を助ける手法」であって、「研究者に取って代わるもの」ではありません。例えば、カーナビのように、目的地までの最適な道順は提案してくれますが、実際の運転は人間が行うのと同じです。MIにおけるAIも、材料開発という「運転」を研究者が行う際の「カーナビ」のような存在だと考えるとわかりやすいかもしれません。

3つ目の誤解は「高度な数学やプログラミングの知識が必要」というものです。確かに、従来の解析ソフトウェアはデータサイエンティスト相当の層向けに設計されていましたが、近年は実験研究者が直感的に使える解析ソフトウェアが増えています。重要なのは、材料開発の専門知識を持つ実験研究者が、MIツールを自身の武器として使いこなすことです。

1. なぜこの誤解が生まれるのか

  • データサイエンスやAIの専門用語への苦手意識
  • 従来の計算シミュレーションやMIのソフトウェアが難解かつ使い勝手が良くなく玄人向けだった
  • 「インフォマティクス」というイメージのしにくさ、実験とかけ離れているイメージ

2. 実際に必要なスキル

  • 基本的なPCスキル(Excelレベル)
  • 実験データの整理・管理能力
  • 材料開発の専門知識
  • 基本的な統計の知識(平均、分散程度)

3. 最近のMIソフトウェアの特徴

  • ドラッグ&ドロップで操作可能
  • 直感的なユーザーインターフェース
  • テンプレートの活用で簡単に開始可能
  • データの可視化機能が搭載
  • 初心者でも扱いやすいようなわかりやすい情報の記載

最近のMIソフトウェアは、直感的に使えるよう設計されていますが、大切なのは、材料開発の専門知識を持つ実験研究者が、MIを活用して研究開発をより前に進めることです。データサイエンスの専門家になる必要は必ずしもありません。

実験研究者の専門性とMIの関係性

MIの活用において、実験研究者の専門性は極めて重要な役割を果たします。MIはあくまでも手法のひとつであり、それを正しく使いこなすためには研究者の専門的な判断が不可欠だからです。

実験研究者の専門知識は、下記にかかわらず様々な場面で役立ちますが、代表して以下の3つの場面を例に説明します。

1. 実験計画の立案

実験研究者は、長年の経験から材料の特性や製造プロセスについて深い理解を持っています。この知識は、どのパラメータが重要で、どの条件範囲を探索すべきかを判断する際に不可欠です。また、製造現場の制約や材料特性間の相関関係を理解していることで、現実的で効率的な実験計画を立案することができます。
データサイエンスを活用する際にはこういった暗黙知をどう言語化して制約条件等に考慮していくかが非常に重要です。

2. データの妥当性の判断

実験データの信頼性は、MIの成否を左右する重要な要素です。実験研究者は、測定値が妥当かどうか、異常値が発生した場合の原因は何か、実験環境がどのように結果に影響しているかなどを、専門知識に基づいて判断できます。このようなことができて初めて、信頼性の高い予測モデルの構築が可能になります。

3. 予測結果の評価

MIによる予測結果が実現可能かどうかの判断には、実験研究者の専門知識が必要です。材料特性として現実的か、実際に製造可能か、コストと性能のバランスは取れているか、安全性や環境への影響に問題はないかなど、総合的な評価が求められます。これらの判断は、内容によっては、AIやデータ分析だけでは行えない、研究者ならではの重要な役割です。まさに熟練研究者の知見が活きるところでもあります。

このように、繰り返しになりますが、MIは研究者の専門性を置き換えるものではなく、それを最大限に活かすための手法として役立ちます。研究者の専門知識とMIを組み合わせることで、より効果的で革新的な材料開発が可能になるのです。

MIで広がる研究者の可能性

MIの導入により、研究者の働き方も大きく変化します。従来、多くの時間を要していたルーチン的な実験が見直され、よりデータも駆使した創造的な研究活動に時間を使えるようになります。また、研究者のキャリアパスも多様化します。過去にMI-6とMIの推進や実証実験に取り組んだ方々でも、以下のようなキャリアの変化のご連絡をお受けすることも多々あります。

  • 社内MIプロジェクトのリーダーへの抜擢
  • MI部署の立ち上げ
  • 実験現場とデータサイエンスをつなぐ境界人材としての活躍 
  • 社内で実際にMIで成果を挙げた研究者として認知・評価され、MIの先駆者として頼られる
  • 研究者からMI推進者やデータサイエンティストへのシフト

また、私たちMI-6は、材料開発の未来において、実験研究者とMIの融合が重要な鍵を握ると考えています。

まとめ

マテリアルズ・インフォマティクス(MI)は、材料開発の現場で注目を集めています。開発期間の短縮要求や予算制約など、研究開発を取り巻く環境が厳しさを増す中、MIは実験研究者の強力な開発手法となります。ただし、「MIで実験が不要になる」「AIが全て解決する」「高度な数学やプログラミングが必要」といった内容は誤解です。実際には、MIは実験を効率化する手法であり、研究者の判断を支援するものです。また、最近のMIソフトウェアは直感的に使えるよう設計されています。

重要なのは、実験研究者の専門性とMIを組み合わせることです。実験計画の立案、データの妥当性判断、予測結果の評価など、研究者の専門知識は不可欠です。MIは研究者の専門性を置き換えるものではなく、それを最大限に活かすための手法として機能します。

参考文献