はじめに

マテリアルズ・インフォマティクス(MI)の推進を試みているものの、思うような成果がでない、モチベーションが高まらない——と感じたことはありませんか?会社の方針でMIに取り組んではいるものの、情熱を持てず、なかなか本気になれない…そんな悩みをお持ちの方もいらっしゃるかも知れません。
本記事では、そうした課題を抱えるMI推進者・MI実践者の皆さんに向けて、成果を生み出し、周囲を巻き込んで活動を広げるための、実践的なアプローチをご紹介します。

会社紹介

デクセリアルズ株式会社は、電子部品や接合材料、光学材料などを製造・販売する素材メーカーです。主要製品として、異方性導電膜(ACF)、反射防止フィルム、光学弾性樹脂(SVR)、表面実装型ヒューズ、紫外線硬化型接着剤などがあります。

図1. 主要製品

研究開発を行う部門は4つあり、全社の研究開発をリードするコーポレート R&D本部、電子機器向けの接着材料を開発するコネクティングマテリアル事業部、自動車向け製品を開発するオートモーティブソリューション事業部、光学材料を開発するオプティカルソリューション事業部で構成されます。

MI推進チーム紹介

デクセリアルズでは、2023年4月からオプティカルソリューション事業部主導でMI推進をスタートし、製品開発経験者4名でMI推進チームを結成しました。現在は研究開発現場のデジタル活用を進めるべく、事業部所属の研究開発DX・MI推進チームとして、研究開発業務のデジタル化プロジェクトを推進し、データ活用の啓発活動を行っています。

チーム結成当時は社内MI経験者ゼロの状況でしたが、「製品開発者としての経験を活かし、現場で奮闘する研究者の助けになりたい」という強い意志をもって推進活動を行った結果、1年目でMIツールのPoC(概念実証)を成功させMIを正式導入することになりました。

4カ月間のPoCで得た成果

  • 開発に2年かかった既存製品を、MIを活用して2カ月で再導出
  • 規制材料を使用せず、代替材料のみで既存製品と同等性能の樹脂を開発
  • トレードオフ関係にある物性において、過去最高の性能を更新

これらの成果を積極的に発信したことで、社内でMIへの理解と納得感が醸成され、MI推進2年目でMIツールの全研究開発部門(コーポレートR&D+3事業部)への横展開を達成しました
推進チームのメンバーがAIやデータサイエンスについて特別なスキルを持っていたわけではありません。研究開発現場をより良くしたいという情熱を胸に、製品開発者に寄り添った、製品開発者目線のMI推進を行ったことが結果につながりました。

それでは、私たちがこれまでのMI推進経験から得た、 “自分ごと化”で行動につなげるMI推進アプローチをご紹介します。

マインドセット ー自分ごと化を進める思考術―

プロジェクトへの理解を深め、自分ごと化する

プロジェクトを成功に導くためには、参画メンバーが当事者意識を持ち、“自分ごと”として取り組むことが重要です。なぜなら、自分ごと化によって目標や課題との心理的な距離が近くなり、主体的な行動を起こしやすくなるからです。

プロジェクトを自分ごと化するアプローチのひとつが、個人とプロジェクトのつながり・重なりを見つけることです。

事例

私は、製品開発者としての経験から「自分と同じ失敗を若い世代の研究者に繰り返してほしくない」という強い思いを抱いています。その思いから、過去の失敗をデータとして継承し、次の研究に活かせる仕組みづくりが必要だと考え、DXやMIへの関心が芽生えました。

一方、私が所属する事業部では、「持続成長可能な開発基盤の構築」を目指していました。その施策のひとつとして、実験データを集約管理するDB構築プロジェクトを進めていたものの、蓄積したデータを活用する具体的な方法はまだ特定できていませんでした。

ここで、個人と組織の間に「データを活用して開発業務を効率化したい」という共通の目的が生まれ、そのための具体策が“MI”だったというわけです。MI推進と自己実現の間につながりを見つけたことで自分ごと化が進み、チームの立ち上げやMI推進活動でも主体的に行動を起こせるようになりました。

図2. つながり・重なりを見つけて自分ごと化する

実践方法

自分とMIのつながり・重なりを見つけるためにも、まずは自分とMIそれぞれの理解を深めると良いでしょう。

例えば、地図アプリで移動ルートを調べるには、出発地と目的地を明確に決めてから、最適ルートを探しますよね。
自分と物事の距離を測るときも同じです。自分とMI両方について具体化と抽象化を繰り返し、解像度を高めてから共通点を探しましょう。

  • 自分を理解する
    “個人のパーパス(信念、価値観)”を定義し、明文化しましょう。
    過去に喜びやストレスを感じた経験に対して「なぜそう感じたか?」と問いを繰り返し具体化することで、自分の根底にある信念や価値観を見つけます。これを言葉として表現することで、とっさの判断や決断に役立つ自分だけの軸を持つことができます。
  • MIを理解する
    MIに取り組まなければならない社会的・組織的な背景を整理してみましょう。
    自分がMIに取り組む理由を抽象化し、個人→上司→組織→企業→社会課題と順にたどり、俯瞰的に捉えていきます。するとMIはより上位の課題を解決する手段のひとつであることが分かり、これまでとは違う新たな理由に気づくことができます。
  • 共通点を探す
    自分とMIの理解が深まったら、色々な切り口で両者の見比べてみましょう。
    例えば “リーダーシップ”という切り口で仕事と趣味のサッカーを比べると、チームで協力して成果を生み出すという共通点が見つかります。すると、サッカーでの学びを仕事に活かす、逆に仕事の経験を趣味に活かすという、これまでにない新しい発想が生まれてくるでしょう。

問題が自分に近づいてくるのを待っているだけでは、当事者になったときに手遅れになっているかも知れません。余裕をもって行動するためにも、自分の意識を問題に近づけて、自分ごと化するアプローチを身につけていきましょう。

次に、MIで成果を創出し、周囲を巻き込んでいくためのアクションを、3つのステップに分けて解説します。

アクション ーPoCを成功に導く3つのステップー

ステップ1 叶えたい大きな目標を描き、周囲に共有する

プロジェクトをスタートしたらまず、「最終的にどんな未来を実現したいか」という大きな目標を描き、関係者と共有しましょう。
なぜなら、大きな目標を先に決めることで、プロジェクトの進む方向が明確になり、参画メンバーが一体感をもって行動できるようになるからです。

叶えたい大きな目標を描くためのアプローチのひとつが、As-Is, To-Be, Can-Beフレームワークを用いた共通目標の設定です。

事例

弊社ではMI推進のスタートにあたり、約3カ月をかけて「MIで何を達成したいか」を議論し、共通目標を設定しました。その議論で活用したのが、As-Is, To-Be, Can-Beフレームワークです。

As-Is, To-Be, Can-Beフレームワーク

  • As-Is:現状課題を分析する
  • To-Be:ありたい姿を定義する
  • Can-Be:現状とありたい姿のギャップを埋めるマイルストーンを設定する

また、目標を立てる上では、MIを知らない人にもどんな未来を実現したいのかが伝わる言葉選びを心がけました。こうして設定した目標は、「なぜMIに取り組むのか」という問いの答えとして、推進活動に対する関係者の納得感の醸成に役立ちました。

実践方法

共通目標を設定する際は、「As-Is, To-Be, Can-Be」の3つを考えて終わりではなく、全体のバランスや、目標の運用方法にも注意が必要です。

例えば、既にMI推進の目標は設定しているが、目標自体があまり認知されていない、といったことはありませんか?
目標を立てたら終わりではなく、そこからが始まりです。以下の観点から妥当性と運用方法を定期的に見直してみてください。

目標見直しポイント

  • As-Is→To-Be→Can-Beの流れに一貫性はあるか?
  • 関係者と認識を共有できているか?
  • より具体的な目標にブラッシュアップできないか?

図3. As-Is, To-Be, Can-Beフレームワーク

「As-Is, To-Be, Can-Be」の3つを違和感なくつなげるには、ある程度の慣れも必要です。目標の大小を問わず活用できるフレームワークですので、日ごろから意識して使い、精度を高めていきましょう。

ステップ2 身近な目標に向かって行動し、小さな成功を積み上げる

共通目標を設定したら、まずはマイルストーン達成に向けて素早く最初の一歩を踏み出しましょう。
なぜなら、成果を生み出すには、行動・学習・改善のサイクルを素早く回すことが重要だからです。最初の一歩は小さくても構いません。迅速に行動を起こすことを重視しましょう。

素早く最初の行動を起こすためのアプローチのひとつが、身近な課題から徐々にステップアップする、スモールスタートです。

事例

私たちは、まずMIのPoC環境を素早く構築するために、プログラミング不要のMIツールを選定しました。次にPoCのテーマを探しましたが、当初は製品開発チームにテーマを募集しても応募が集まりませんでした。

そこで、素早く事例を創出するためにも、既に答えが分かっている既存製品を、MIを使って再導出する“確かめ算テーマ”をMI推進チームで企画しました。
このテーマは実験を続けていればいずれ答えにたどりつく課題であるため、PoCにおける最初の一歩を踏み出すハードルを下げてくれました。それだけでなく、開発に2年かかった既存製品を2カ月で再導出するという成果も得ることができました。

こうした身近な社内事例が、MIが自分たちの手の届くところにあることを感じさせ、徐々にPoCのテーマが増えていくことになります。また、MI推進チーム自身がMIの手応えを掴み、自己効力感をもって次のPoCに進むことができるようになった点でも、とても重要なテーマでした。

実践方法

スモールスタートでPoCを進める上では、目標達成/未達に限らず結果をレビューし、得られたデータやナレッジは責任をもって蓄積していくことが重要です。

例えば、簡単な目標から取り組んだものの「それくらいならExcelでもできる」といわれたり、逆に高い目標を立てて一定期間内で目標が達成できなかったりすることもあるでしょう。

どちらの場合も、教訓を次に活かすことさえできれば全く問題ありません。
目標が簡単なら予測する項目をひとつ増やしてみたり、目標が高いなら目標値のハードルを少し下げてみたり、試行錯誤しながら自社のテーマに合わせた問題設定のノウハウを積み上げていきましょう。ただし、どんな結果であっても、得られた教訓とデータを次に活かせる形で蓄積することは忘れないでください。

図4. スモールスタート

スモールスタートは素早く行動を起こせる点で優れたアプローチですが、行動が次につながらなければ意味がありません。スタートはスモールでも、大きなゴールを目指して、ひとつずつステップアップしていきましょう。

ステップ3 伝わるプレゼンで“自分ごと化”を促進し、周囲を巻き込む

スモールスタートでPoCの成果が増えたら、聞き手に合わせた伝わるプレゼンで成果を報告し、関係者からの共感を引き出していきます。
なぜなら、立場や前提知識が異なる聞き手に対しては、聞き手の視点に立って言葉を選ばなければ説明を理解してもらえないからです。納得と共感を得るためにも、聞き手に理解してもらえるプレゼンを目指しましょう。

聞き手の納得と共感を得るためのアプローチのひとつが、「抽象から具体」、「論理から情熱」の2つの流れを取り入れたプレゼン方法です。

事例

私たちがMI推進をスタートした当初、関係者の多くは、MIはもちろんのこと機械学習に対する知識も限られていました。MIについて説明しても専門用語が伝わらず、AIという言葉を使っても人によって受け止め方が異なることもあり、前提知識や定義を揃えることの重要性を学ぶことができました。

そこでプレゼンでは、「抽象から具体」、「論理から情熱」という2つの流れを組み合わせ、聞き手の納得と共感を引き出すストーリーを意識しました。

図5. プレゼンストーリー

納得と共感を得るには、話をするだけでなく、実際の業務データを使ったデモンストレーションを行うことも効果的でした。事前に業務データを提供してもらい、プレゼンの場でMIツールを動かすことで、自分達の手の届くところにMIがあることを実感してもらえるでしょう。
聞き手に伝わるプレゼンと、聞き手に馴染みのある題材のデモを行い、頭だけでなく心でもMIのメリットを感じてもらうことで、“聞き手の自分ごと化を促進していきました。

実践方法

聞き手に合わせたプレゼンをするには、聞き手の“課題”と“目標”を理解して説明の仕方を工夫することが効果的です

「相手の立場に立って考えよう」と言われても、実際に相手の本音を理解するのは難しいものです。だからこそ、感情からではなく、相手の“課題”と“目標”から理解を深めるのがより現実的なアプローチになります。

  • 課題を知る
    聞き手の業務を観察したり、実際に体験したりすることで、同じ温度感で課題を共有しやすくなります。
  • 目標を知る
    業務目標やKPIを把握することで、聞き手がどんな目標に向けて行動し、どんな成果を求められているかが理解しやすくなります。
  • ギャップを埋める提案をする
    聞き手の課題と目標のギャップを埋める手段として、MIがどうやって貢献できるか説明していきましょう。

聞き手の行動を促すには、何をどう伝えるかを丁寧に設計する必要があります。一方的に話すのではなく、聞き手との対話を意識した“伝わるプレゼン”を心がけましょう。

今後の展望

2025年4月で弊社のMI推進も3年目に入り、MIの社内認知を広げるフェーズはおおむね完了し、次のステージへと移行しつつあります。これからの課題は、いかにMIを組織に“定着”させるかです。今後は、MI人材の育成を進めると共に、様々な研究開発DX施策を並行して進め、MIに取り組みやすい実験室環境の構築を目指していきます。

PoC中は、MI推進チームがテーマに最後まで伴走することで事例を増やすアプローチが多かったですが、MIを組織に定着させるには、各研究開発チームが自律的にMIを活用できる状態を目指さなければなりません。

現状は、MIのスキルやノウハウを持つ人材は少なく、MIを使った開発テーマをスタートすること自体の属人性が高い状態と言えます。MI実践経験者を増やし、パワーユーザーを育成していくことは間違いなく必要だと理解する一方で、このまま人的リソースの成長“だけ”に依存してよいのか、という問いも生まれました。

この問いを繰り返す中、MIの効果を最大化するためにも、MI以外のDX施策と連動し、実験室環境そのものを進化させる必要があるという結論に至りました。
MI推進は目的ではなく施策のひとつです。DB構築、測定装置オンライン化、自動化、ワークフロー構築など、研究開発に関わる様々なタスクの高効率化・脱属人化を進め、学習データの質と量を向上させながら、誰でもMIに取り組めるような、属人性の少ない実験室環境の構築を目指していきます。

図6. 今後の展望

おわりに

MIの話なのに、化学構造も機械学習の話もでてきませんでしたね。MIが「マテリアルドメイン×インフォマティクス」であるならば、MI推進は「MIドメイン×組織推進力」であると捉えられます。ならば、推進業務にフォーカスしたMIの記事がひとつくらいあってもいいじゃないか!と自身に言い聞かせながら執筆しました。

世の中には既に多くのフレームワークが存在していますが、多くの場合、フレームワークの有用性に気づくのは、自身が課題に直面し当事者意識を持ったときです。本記事の執筆を機にこれまでの推進活動を振り返り、次代に継承できるようモデル化を試みたからこそ、私の中で自分ごと化が進み、フレームワークの本質的な価値に気づくことができました。

本記事をきっかけに、皆さんご自身のアプローチを見つめ直し、「どうすれば自分や周囲の行動を促せるか」を考えるヒントとしていただければ幸いです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。この記事が皆さんの一助となり、そこから得た学びが、また次の誰かの助けにつながっていくことを願っています。