はじめに

世界が直面している様々な社会課題・産業課題を解決するためには幅広い分野からのアプローチが必要です。分野横断的な基盤技術であるマテリアルは、こうした社会課題の解決に大きく貢献できると期待されています。令和3年4月に政府として策定した「マテリアル革新力強化戦略」では、マテリアル分野で高まる期待に対応するため、膨大な研究データやAIを活用した研究開発、いわゆる「データ駆動型研究開発」の推進を柱の一つとして掲げています。本記事では、その戦略に沿って、文部科学省にて実施するデータ駆動型研究開発の推進に向けた「マテリアルDXプラットフォーム」の取組を紹介します。

マテリアル分野における現状と課題

世界が直面している様々な社会課題・産業課題を解決するためには、情報通信、健康・医療、環境・エネルギー等の幅広い分野からのアプローチが必要です。マテリアル技術は、AI技術、バイオテクノロジー、量子技術や、半導体、電池といった重要先端技術分野にとって横断的な基盤技術であり、その革新は幅広い分野に飛躍的な進展をもたらします。

これまで我が国には、青色発光ダイオードやリチウムイオン電池の開発など、ノーベル賞受賞にもつながった革新的なマテリアルを多数創出してきた実績があります。実際に、我が国の自然科学系のノーベル賞受賞のうち、約半数がマテリアル関連研究での受賞であります。また、マテリアル分野では、産学官合わせ10万人規模の研究者が国内に存在し、一定の論文数や質を維持しております。また、物質・材料研究機構(NIMS)や大学等に国際的な拠点が複数形成され、活発な活動を通して世界に社会的・経済的なインパクトをもたらしてきました。一方で、近年は他の科学技術分野と同様に、論文数の国際シェアの低下や、関連学会での会員数の減少等、我が国の研究力低下が指摘されています。

また、産業の観点では、我が国のマテリアル産業は、世界市場で高いシェアを誇る製品が多数存在するなど、高い競争力を有しており、製造業GDPの3割以上を占める基幹産業です。しかし、近年の新興国の急速な追い上げ等を背景に、我が国の相対的な競争力の低下が指摘されており、我が国発のマテリアルであっても、社会実装において他国の後塵を拝してしまうケースが見られます。世界的な開発競争が激化する一方で、最終製品や部素材に求めるニーズは、益々多様化・複雑化する傾向にある中、新たな発想のマテリアル、開発時間の短縮等の対応が強く期待されており、国際情勢の不安定化や感染症の世界的な流行を背景としたサプライチェーンの強靭化や製造プロセスの転換等も求められています。

政府が打ち立てた「マテリアル革新力強化戦略」 

マテリアルと政府戦略

こうした状況に対応するため、政府は、産学官が結集してマテリアル・イノベーションを創出する力として「マテリアル革新力」を高めることにより、「経済発展と社会課題解決が両立した、持続可能な社会への転換に、世界の先頭に立って取り組み、世界に貢献すること」を目指して、「マテリアル革新力強化戦略」(令和3年4月統合イノベーション戦略推進会議決定)を策定しました。本戦略を踏まえて、データ駆動型研究開発の促進と物事の本質の追及による新たな価値の創出が必須として、「革新的マテリアルの開発と迅速な社会実装」、「マテリアルデータと製造技術を活用したデータ駆動型研究開発の促進」、「国際競争力の持続的強化」を柱として各種取組を進めています。

データ駆動型研究開発の促進

デジタル技術の進展に伴い、マテリアル分野の開発においても、急速にデータ駆動型研究へのシフトが進んでいますが、産学官が積み上げてきた質・量ともに豊富なマテリアルデータの存在は我が国の強みであり、それらを十分に活かすことが重要です。このため、マテリアルやプロセスに関するデータを集約した基盤を整備するとともに、それを活用したデータ駆動型研究の推進に、産官学が一体となって取り組んでいます。

近年では、研究開発を担う人材も不足しつつある状況の中、データ活用による研究開発の効率化、高速化、高度化と、これを通じた研究開発環境の魅力向上のための取組がますます重要となっています。

このため、文部科学省においては、マテリアル分野のデジタルトランスフォーメーション(DX)を進めるべく、産学官の高品質なマテリアルデータを戦略的に創出できる研究環境を整備し、質の高いデータの収集・蓄積・利活用できることに加えて、効率的・継続的に創出・共用化されるための仕組みを持つプラットフォームの構築に向けて、「マテリアルDXプラットフォーム」を立ち上げ、取組を進めています。

研究DXに向けた文部科学省の取組「マテリアルDXプラットフォーム」 

文部科学省では、マテリアルDXプラットフォーム(図1、2、3)として、高品質なデータ創出・活用を可能とする共用施設・設備の整備、マテリアルデータの中核拠点・ネットワークの形成、さらに、データ創出・活用型研究開発プロジェクトの推進等を包括的に取り組んでいます。本プラットフォームでは主に3つの事業を組み合わせて、データ駆動型のマテリアル研究を一体的に推進しており、研究データの①創出の観点ではマテリアル先端リサーチインフラ(ARIM)、②統合・管理の観点では物質・材料研究機構(NIMS)のデータ中核拠点(MDPF)、③利活用の観点ではデータ創出・活用型マテリアル研究開発プロジェクト(DxMT)です。

次では、これら3つの事業の具体的な内容について紹介します。

図1.「マテリアルDXプラットフォーム」の目指すべき姿①

図2.「マテリアルDXプラットフォーム」の目指すべき姿②

図3. マテリアルDXプラットフォーム構想

マテリアル先端リサーチインフラ(ARIM)

ARIM(通称、エーリム)では、前身事業であるナノテクノロジー・プラットフォームから実施してきた先端設備の共用や技術専門人材による技術支援に加え、データ創出・共用のための取組を実施しています。

全国25の大学・研究機関から構成されており、それぞれにおいて、革新的なエネルギー変換を可能とするマテリアルや量子・電子制御により革新的な機能を発現するマテリアルといった7つの重要技術領域を担っています。各領域に強みを持つ先端設備群を提供するハブ機関と、特徴的な装置・技術を持つスポーク機関から成るハブ&スポーク体制を形成しており、現在では合計1,100台を超える設備を共用しています。ユーザー数は年間5,000人以上、産学において幅広く利用されていることから、我が国のマテリアル研究開発を支える重要なインフラとして機能しています。

先端設備の利用支援のみならず、技術的な問題解決に向け、専門技術スタッフによる技術相談、技術代行などを実施しており、利用者のニーズに沿った様々なサポートを展開しています(図4右)。

共用設備から創出されるマテリアルデータのうち、利用者から承諾が得られたものについては、NIMSのデータ中核拠点が運営するデータ蓄積・構造化システム(Research Data Express : RDE)に集約され、共通のデータ形式に統一した状態で蓄積されます(図4左)。令和5年度末にはデータセット数7,447、データファイル数414,928が登録されており、令和7年度からは、本事業で蓄積されたデータを全国の研究者に利活用いただくサービス提供を予定しています。

図4. マテリアル先端リサーチインフラの事業概要及びサポート内容

データ創出・活用型マテリアル研究開発プロジェクト(DxMT)

DxMT(通称、ディーマテ)では、これまでの試行・経験型の研究開発に計算科学やデータサイエンスなどを取り入れた「データ駆動型研究開発手法」を開発しています。また、データ駆動型研究開発の実践により、革新的な機能を有するマテリアル開発を目指しています。開発された研究手法の全国展開やフラッグシップとなる成果創出を先導することで、我が国全体でのマテリアル研究開発に貢献します。

我が国の未来社会の実現に重要な役割を担う社会像として、カーボンニュートラルの実現、Society 5.0の達成などを定めており、その実現に向け、英知を結集した5つの拠点(「極限環境対応構造材料」、「バイオアダプティブ材料」、「エレクトロニクス材料」、「電気化学材料」、「磁性材料」)を形成し、各拠点で研究開発が行われています(図5)。

また、データ駆動型研究開発に関する人材育成の活動として、各種セミナーや講習会、シンポジウムを開催しております。加えて、データ駆動型研究開発を実践する際に役立つ、ツールやデータベース等も発信し、全国への展開・普及に取り組んでいます。

これまでの研究成果として、AIが研究者の「気付き」を誘導し、固体科学の概念を電解液に展開したことで、電極電位を記述する新しい電気化学理論モデルが提唱されています。また、AIと研究者の共同作業によるNi-Al合金の高温強度を向上させることが可能な新しい二段熱処理方法の発見、ハイスループット材料探索による磁気物性値の高い新規磁石化合物の発見など、新材料開発に向けた世界トップレベルの成果が出てきています。

図5. データ創出・活用型マテリアル研究開発プロジェクトの概念図

データ中核拠点(MDPF)

データ中核拠点(MDPF)では、データプラットフォームの構築および整備を目的に、世界最大級のデータベースMatNaviや、一元的なデータの集約・蓄積・利活用を目的としたRDE等のシステム開発・整備を進めています(図6)。

マテリアル研究開発のDX化に貢献するべく、ARIMなどの研究設備から創出された生データをRDEへ登録することで、マテリアル研究に適した形へ構造化され、クラウドに蓄積することで、ユーザーのデータ利活用や共用を促進しています。また、蓄積したデータのAI解析基盤として、「pinax」の令和7年度実装を目指して開発に取り組んでいます。

このように統一されたデータ管理手法でデータ取得からデータベース化、データの利用までを一貫して行う取組は前例がなく、先進性の高いデータプラットフォームシステムを構築していくとともに、NIMS内外に対し、材料情報のナショナルセンターとして、質の高いサービスを継続的に提供しています。

図6. NIMSにおけるデータ中核拠点

おわりに

マテリアル分野における研究開発力は日本の国際競争力の源泉です。その重要性は、経済安全保障や国際的な環境規制の強化など、国際情勢の変化を背景に、近年益々高まっています。研究開発力や産業競争力において、我が国の強みは一定程度維持されている一方で、諸外国の追い上げや伸びに比して遅れをとっており、相対的な強みは低下傾向にあります。

だからこそ、日本の強みである高品質なデータ、計測、分析、加工・合成技術等を生かし、マテリアルDX プラットフォームの強化・発展に取り組むことが必要であると考えています。

文部科学省では引き続き、このようなマテリアル革新力の強化に向けた取組によって、日本の科学技術イノベーション力全体の強化を図り、我が国が世界の産業・イノベーションを先導していくことを目指していきます。

参考文献